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2千年を超えて蘇った古代都市ポンペイ


ポンペイ遺跡

ポンペイは忘れられた町として火山灰の下に埋もれていたままだったが、2000年の時空を超えて現代に蘇った奇跡の古代都市だ。

イタリア人ガイドと歩くポンペイ遺跡の2時間コース

ポンペイの歴史は紀元前8世紀に遡る。
イタリア先住民のオスク人が、サルノ川河口近く、海抜40mの溶岩台地の上に誕生した時に始まったといわれ、 その後、エトルリア、ギリシャ、サムニウム、ローマと支配が移っていった。 美しい円錐火山ヴェスビオの麓にはぶどう畑が広がり、魚、塩,羊毛などの産物が港を出入りしていた。
こののどかな生活を破壊した最初の大惨事が起こったのが紀元62年の大地震、そして町が大地震からの再建を進めていた紀元79年8月24日に2回目の決定的な出来事が起こった。 死火山と考えられていたヴェスビオ山が突然大噴火して、3日間におよぶ惨劇の末、麓のエルコラーノ、ポンペイ、スタビアなどの町々は溶岩と火山灰に埋もれ、毒ガスにより多くの人命が奪われた。
ポンペイは忘れられた町として火山灰の下に埋もれていたままだったが、2000年の時空を超えて現代に蘇った奇跡の古代都市だ。

遺跡めぐり大好きシニアは、旅行会社主催ガイド付オプショナルツアーよりも、ローマから列車を利用し、ガイドブックを持ち学びながら遺跡を歩くことを薦めたい。
ポンペイ遺跡は紀元前の信仰、生活の様子が集大成された貴重な場所で、古代都市の姿を学ぶには格好の場所ともいえる。 ローマからナポリまではユーロスターで2時間弱、インターシティーで2時間強の距離。 ナポリからはヴェスビオ周遊鉄道ソレント行きを利用するのが便利。
およそ30分毎で、40分ほどでポンペイ遺跡前のヴィッラ・ミステリ駅に到着する。 風景もナポリを過ぎるとブーゲンビリアの花などが咲き、突然南国の雰囲気になる。 ナポリ湾を、右に見ると後方にはナポリとサンタルチア港が、前方にはソレント半島とカプリ島も見える。 ヴェスビオ火山は進行左手、噴火で頂上が吹き飛んだ山は、見る角度により一つと2つの山の姿に変わっていく。
誰でも知っている「フニクリ・フニクラ」は、ヴェスビオ山登山鉄道のコマーシャルソングとして作られた。

古代都市ポンペイには、イタリアで最も印象的なローマ時代の遺跡がいくつかあります。 プライベートツアーは、時間を最大限に活用するための最良の方法です。 ユネスコの世界遺産に登録されている遺跡を、散歩しながらローマ時代の生活について学ぶいいチャンスです。
世界最古の現存するローマの円形劇場は圧巻です。

ポンペイには絶対にプライベートガイドを付ける方が賢明です! ガイドの話と細かい歴史的な話しは、時代をその時に戻してくれます。 あたかも西暦79年のその運命の日に、その大都市の市民であるかのような錯覚に陥ります。

ポンペイには6つの門があるが、遺跡には海の門から入る。 また夏の遺跡めぐりは炎天下になるので,帽子と飲料水が欠かせない。 ポンペイを学ぶためには、土産店で売っている復元図付ガイドブックを求めましょう。

海の門

海の門から続く海の道はフォーロまで150mほどの直線道路。 今の海岸線は1kmほど離れているが、当時は海に近くポンペイに運ばれてくる商品はここを通って町に運ばれた。 門の前に立つと、2つのアーチ型の門が見える。左は歩行者用、右は荷馬車用、また門の左には商品を置く倉庫があったようだ。
夕方になると門が閉められるので、締め出されて外の宿屋に泊まった人も沢山いたようだ。 やや急な古代の石畳を歩いて、荷馬車用の海の門に向かう。門をくぐると2000年を超えて蘇った古代遺跡の世界が徐々に開けてくる。

ポンペイ遺跡の石畳

坂道を200mほど歩くと遺跡のある台地に到着する。 今歩いてきた荷馬車用の石畳の表面には、荷馬車が通った 轍がはっきりと見え、ポンペイの活気ある経済活動が伺える。
石畳のところどころには、両側の歩道を結ぶ置石が 荷馬車が隙間を通れる間隔で置いてある。 雨などで水が出たときなど、ここで反対側の歩道に渡ったらしい。

円柱が林立するバシリカ

坂道を登った右側にある遺跡。縦55m横24mの広さで紀元前120年ごろのもので、人々の集う場所でもあった が、司法の場としても使われていたとのこと。
遺跡の中庭にある円柱の礎石の上には、建物を支えるコリント式の 円柱が林立し、奥の5本の柱がある場所の2階には法廷があった。 今は砂地となっているバシリカの床面に立って、 当時の屋根付の壮大な建物を思い描いてみたい。

アポロ神殿

海の道を登って右側がバシリカ、左側にはアポロ神殿跡がある。海の道側の入口から入ると、2本の円柱と 神殿があった基壇が目に入る。
ポンペイのアポロ信仰は古く、紀元前6世紀にさかのぼると考えられている。 復元図によれば、正面は6本のコリント式円柱が、全体で48本の円柱に支えられた建物だったようだ。 遺跡を去る前に、基壇左にある日時計、中庭にある大理石の供物台、入口右側のアポロと左側のディアナの ブロンズ像(複製)も見逃せない。

フォーロ広場

アポロ神殿から出てすぐに海の道の終点フォーロ広場に出る。 遺跡全体では西側の場所で南北に向いた 142mX38mの長方形でポンペイの宗教,生活の中心となっていた所。
広場に出たら左手を眺めると、 ポンペイの町を襲ったヴェスビオ火山の勇姿が望める。 この場所は、ヴェスビオ山全体と遺跡が同時に写せる ポイントだが、またポンペイの悲劇に思いをめぐらすことができる場所でもある。 山に向かって広場に立つと、正面には紀元前2世紀ごろの建造とされる6本の柱が残るジュピター神殿跡が 目に入る。
神殿両脇には凱旋門が、フォーロの周りには、2階建ての柱廊だった柱跡が、フォーロの左手7つの 台座には名誉を受けた人の像,その南には演説壇が、右手奥には行政機関の建物跡がある。
お勧めコースは広場の左手を北の凱旋門に向かって歩く。 商品取引で使われた大きさの違う穴のある大理石の 計量台は生活が滲み出て面白い。 その先の当時穀物庫だった場所は発掘物の保管場所となっている。 特に、苦しそうに鼻と口を抑えた火山の噴火による犠牲者たちの石膏像は見逃さないこと。

ジュピター神殿跡

ポンペイのジュピター神殿は、紀元前2世紀頃、ヴェスビオ山を背景にフォーロ(中央広場)北側に聳え立っていた。 当時正面奥の壁には、ジュピター神(神々の王)、ジュノー(ジュピターの妻),ミネルバ(知恵と武勇の神)の聖像が祀られ、 ポンペイの人々の崇拝も、海の道の途中で見てきたアポロ神(太陽の神)から、これら三神に移っていったものと思われる。
高さ3mの基壇の右側に廻って、鉄格子内の地下室も是非覗いて見る。そこは聖具や公金保管場所となっていた興味ある場所だ。

公衆浴場跡

ジュピター神殿左側のジェルマニコの凱旋門をくぐると、公衆浴場跡にでる。 見学は、脱衣場、冷水浴場(フリギダリウム)、温水浴場(テピダリウム)一番奥の熱浴場(カリダリウム)の順。
温水浴場では、壁に飾られたテラコッタ製の男性像、ニジド・ヴァックラが収めたブロンズ製の火鉢に注目。 熱浴場では、熱風を通すために作られた2重壁の様子よくが見えて興味深い。
帰りは同じ順路を脱衣場に戻る。脱衣所から浴場通り側に出ると、道の反対側にはひと風呂浴びた人を待つための、 飲料用の甕が埋め込まれた居酒屋の跡があるので暫し立ち止まってみたい。 (トイレ・バールがあり、見学途中の休憩場所として利用できる)

悲劇作家(詩人)の家=中流家庭の遺跡

居酒屋のすぐ左手にあるポンペイの中流家庭の遺跡
まず入口の床にあるカーヴェ・カーネム(犬に注意)」と描かれた犬の絵の白黒のモザイクは必見。 中央に雨水を貯めるための水槽(インプルヴィウム)がある中庭(アトリウム)、 その次の間が古代ローマの住居で最も重要な客室(タブリヌム)と続く。 この家の名前は,タブリヌムのモザイクにギリシャ悲劇が描かれていたところから付けられたとのこと。
家人の居間や休憩室は、アトリウムやタブリヌムの両脇に置かれ、一番奥が柱に囲まれた奥庭(ペリステリウム)と寝椅子のある食堂(トリクリニウム)になっていた。

カリゴラの門=メルクリオ通り(住宅街)=メルクリオの塔からのパノラマ

悲劇作家(詩人)の家を左手に行くと、すぐカリゴラ(ローマ皇帝)の門にあたる。 ここから反対側のメルクリオの塔までヴィスビオ山に向かって一直線に伸びている道がメルクリオ通り。
このあたりはポンペイの住宅街で、2階はバルコニーを持った家がならんでいたようだ。 300mほどの通りの両側の住居跡をみながら、メルクリオの塔に登ると、ヴェスビオ山、遺跡、,海、と素晴らしいパノラマを楽しむことができる。

ファウヌスの家=1区画全部を占める大邸宅跡

メルクリオの塔から同じメルクリオ通りは半分ほど戻ると、小メルクリオとおりと交差するので、左に曲がる。 そこから2ブロック行った右側には敷地面積がおよそ40mX110m、ポンペイで最も美しいといわれた大邸宅ファウヌスの家があるので立ち寄ってみる。
家の中央の居間には、有名な「アレクサンダー大王とペルシャ王ダリウスの戦い=イッソスの戦い」のモザイクがあったが、現在ナポリ考古学博物館に保存されている。

ベッティの家=遺跡見学のハイライト

ファウヌスの家の1ブロック先にある遺跡見学のハイライト、富豪ヴェッティの家に立ち寄る。 まず玄関に立つと、家の豊かさを例えて、豊穣の神プリアポスが一物の重さを測っている絵を見てびっくりする。 玄関先のアトリウム(中庭)を右に折れると守護神と大蛇が描かれた祭壇を見学。
その奥の台所の調理器具と、更にその奥のエロティック絵がえがかれている女中部屋も必見。 元に戻ってアトリウムから右回りで家の中を見学。最初の居間と壁画を見る。
大食堂(トリクリニウム)の壁は、赤(ポンペイの赤)の基調に帯状の黒で塗られている。 黒地に描かれている当時のポンペイ市民の生活やキューピットの様々な動き、 赤の背景に描かれた神々のカップル(右からペルセイウスとアンドロメダ)など、ポンペイの大富豪の食卓を思い描いてじっくり鑑賞したい。
二千年前のように再現された奥の中庭の花壇。噴水には鉛の水道管が使われ水を送っています。 1周して元のアトリウムに戻り、最後に右手にある居間に描かれている「アポロに捧げる鹿を殺し嘆き悲しむチパリッソ」「レダ」「ダナエ」などのフレスコ画も忘れずに見てみよう。

Jonathan Smith
Chief editor, Magazine

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