ヨーロッパ旅行特集

ヨーロッパの豆知識

ウイーンのメルク修道院


ウイーンから列車でおよそ1時間15分、 高速道路ならA1号線を1時間ほど西に向かうと、 世界有数のメルク修道院の建物が、ドナウ河丘陵の畑の上に姿を現す。

ウイーン ~ メルク修道院
  • ウイーン(西駅)発12時34分/メルク着13時47分
  • 駅から修道院まで徒歩15分
  • 修道院レストランで休憩
  • 14時55分ガイドツアー(英語)1時間とショップで買物
  • メルク発17時44分
  • ウイーン着19時2分

この地域は、古くは辺境の軍事地区(Mark:マルク)で、 976年には初代辺境伯でバーベンベルグ家(ハプスブルグ家以前のオーストリアの名門)の レオポルド1世が居城を構えていた。
996年からオスタリッチ(Ostarrichi:東の地域)の名前で呼ばれ、 それから1000年以上経った今日、オーストリアの名称になっている。
1089年、後継者レオポルド2世は、居城にラムバッハからベネディクト派の修道士を呼び寄せ、 彼らは聖ベネディクトの教えに従いここで生活するようになり、 メルク修道院の原型ができた。12世紀には学校も併設。

中世防御施設(稜堡)の間の正面を通り、東ファザード入口より入る。

アーチ型入口の上の像は、使徒ペテロとパウロの像

高位聖職者(Prelate)の中庭。庭の噴水と教会の円蓋が見える。 196m続く皇帝回廊を通り皇帝の間へ。 回廊の壁にはバーベンベルグ家、ハプスブルグ家君主の肖像画が飾られている。

皇帝の間。全部で11室の博物室になっている

第4室ローマン十字架、第十一室修道院の模型など

大理石の間

皇帝家族の食堂、VIP宴会場。
バロックの画家パウル・トローガー(Paul Troeger)の天井
フレスコ画や同じくガエタノ・ファンティ(Gaetano Fanti)の建築画

テラス。大理石の間と反対側の図書館を結ぶバルコニー

ここからはドナウ川とヴァッハウ渓谷、メルクの町並みの絶景が望める。

図書館。 10万冊の蔵書を持つ

ここにもパウル・トローガーの天井フレスコ画とガエタノ・ファンティの建築画。

教会

主祭壇身廊の天井フレスコ画はバロックの画家ミヒャエル・ロットマイヤ(Michael Rothnayer)による聖ベネディクトの天への道。 アントニオ・ベドゥッチ(Antonio Beduzzi)による身廊、横廊祭壇、聖歌隊席などの内装建築。
パイプオルガンは20世紀のパイプ職人グレゴル・フラデツキー(Gregor Hradetzky)、市民祭壇は同じく建築家フュルス(Fuerst)による。

正面入口からの帰路

左手にはショップとレストラン(1階と2階はフレスコ画装飾)で休憩も可能。

ヨーロッパの修道院や教会を訪れると、ベネディクト派の名を耳にする。 西欧で最も古い派で、中部イタリアヌルシア出身のベネディクトゥスが、 529年少数の弟子と共にイタリアのモンテ・カシーノに修道院を建てたことに始まる。 同派のモットーは「Ora et Labora:祈りそして働け」といわれる。
サウンド・オブ・ミュージックのマリア先生の出身修道院としてよく知られている、ザルツブルグのホーヘンザルツブルグ城下のノンベルグ修道院(Stift Nonnberg)も ベネディクト派に属し、ヨーロッパでも一番古い女子修道院といわれている。
ところで、聖ベネディクトゥスの肖像画では、フランドルの画家ハンス・メムリンクの作品がフィレンツエの ウフィッチ美術館に所蔵されている。 またヌルシアとは現在のノルチャ(Norcia)でローマから、 北東150kmほどの田舎町、モンテ・カッシーノは、 ローマから太陽道路A1号線を、ナポリに向けて150kmほど南下すると、バスから左手山の上に建物がよく見えてくる。
ここは第二次世界大戦時にはドイツ軍の無線基地があって、 それを破壊する連合軍との間で壮絶な戦いがあったところ。 現在の修道院は、当然新しく建てられている。 ローマからナポリ・ポンペイに行く間に、 高速道路の標識にカッシーノと書いてあるのが目印。
15世紀には、コンスタンツ公会議(ドイツのコンスタンツで開催)で決定された教会の改革を受け、メルク修道院がオーストリアの修道院を率いる立場となり、規則正しい規律の模範となった。 バロックの時代1700年には、若干30歳で修道院長に就任したベルトルド・ディートマイヤーが、 バロックの芸術家達の参加を得て修道院全体の新築を開始、 約40年の歳月をかけて今日の修道院の姿になった。修道院見学コースに沿って彼ら芸術家の作品を堪能していきたい。

Jonathan Smith
Chief editor, Magazine

中欧のプラハ、ブダペストも素敵です