太陽道路A1をローマから1時間30分ほど車で走ると、窓の左側の中空に3百数十mほどの岩山が聳え、その上にへばりついた町が見えてくる。 泥と砂の大地が長い間の風雨と地震によって削り取られ 今のような地形になったイタリアの中でもユニークな町のひとつオルヴィエートだ。
ローマ・テルミニ駅08時55分発長距離特急インターシティ(IC)ヴェスビオに乗ると わずか1時間09時55分にはオルヴィエート駅に到着、
山上の町までは登山電車(10分毎、休日15分毎)で簡単にいくことができる。
到着したら駅から右に歩き、広場からの展望を楽しみ、サン・パトリツィオの井戸を見学したい。
町の水を確保確保するための井戸は直径13メートル深さ62mの丸井戸で 現在も250段ほどの階段(昇り降り別ルート)で見学できる。
そもそもオルヴィエートは、紀元前8~9世紀に ローマ前のイタリア半島都市国家を作っていた謎の民族エトルリア人が居住、紀元前6世紀には陶器と銅の生産で町は発展した。
町の北にはエトルリアの墓跡が残っている。
その後は西ゴート族のアラーリック、西ローマ帝国の傭兵オドアケル、ロンゴバルドのアジルルフォ神聖ローマ皇帝オットー3世の支配と時代が移り、11世紀には自治都市となった。
1281年~1284年にはフランス人の教皇マルティネス4世が オリヴィエートに居を構えたこともある。
広場からの展望と井戸を見学したら、登山電車駅前をとおり ポスティエリタ通り1kmほど歩いて町の中心のドゥオモ広場に向かう。
広場の正面にはドゥオモ、右には教皇の宮殿の建物がある。
ドゥオモ(大聖堂)は1290年に、当初はロマネスク様式の建築で始まり、14世紀中ごろゴシック様式で完成したイタリアでも最も美しい教会のひとつ。 美しい正面外壁、バラ窓、右側の柱に彫られたキリスト昇天のレリーフ、 内部の聖母礼拝堂のルネッサンスの画家ルカ・シニョレリのフレスコ画「最後の晩餐」が見もの。 大聖堂見学の後は、広場の周りに集まっている土産物屋でも覗いて 細い道をポポロ広場に向かい、市民軍事組織隊長邸を見て、 カブール通りを登山電車の駅前広場に戻る。
広場脇のグランドホテル・イタリア(3つ星)で軽食と 名物オルヴィエートの白ワイン(オルヴィエート・クラシコ)を飲んで休憩もお薦め。
09時55分鉄道駅到着から3時間ほどオルヴィエートの町を楽しみ、 登山電車駅前広場(コヘン広場)から12時45分発のバスでおよそ1時間山道を走り、オルヴィエートの南にあるもう一つの中空の町チヴィタ(Civita)に向かう。
レンターカーの場合は、ローマから太陽道路A1でオルヴィエートへ。
一般道をオルヴィエートの町まで上がる。 登山電車駅前広場やドゥオモ脇に公共駐車場がある。
帰りは反対側のSS71の曲がりくねった昇り坂の途中まで走ってみる。ここから見るオリヴィエートの町が一番美しい。
オルヴィエートを出発したバスはしばらく南に走り、 畑道に右折、10kmほど走ると突然山道に入る。
13時35分ルブリアーノの町に到着。
目指すチヴィタの町の孤塁は、左の谷の中だがバスからは全貌は見えない。
13時40分チヴィタへの入口バーニョレッジョ(Bagnoregio)の町に到着。
左に折れて町を1kmほど歩くとCivitaのサインがでているので右折、すぐ左に曲がってスロープを降りると目の前に谷の真ん中に異色の町チヴィタの孤塁が見える。
昔はトルビード川の渓谷の上の町として、今歩いてきたバーニョレッジョの町と繋がっていたが、砂と泥の地質が長い間の風雨により削り取られ、
1695年の地震により町は切り離され谷に取り残された。
しかしチヴィタの町は古代には通商道にあたり、2500年前にはエトルリア人の町として栄えていたようだ。
町を北から南に貫通していたエトルリア時代の道跡やエトルリア時代の墓と推定される 聖ボナヴェントゥーラの洞窟などが見学できる。
聖ボナヴェントゥーラは1221年にチヴィタで生まれた。 伝説によれば彼はこの洞窟でアッシジの聖フランチェスコにより 死にいたる病を治してもらったといわれている。
今新しい橋によって町に行くことができるが、この昇りが相当きつい。
やっと町の入口聖マリア門に到着すると門の上の2つのライオンの彫刻は、オルヴィエートの強力な貴族で教皇派のモナルデスキ家の砦を破壊して 支配から勝利した記念に造られたもの。
オルヴィエートとチヴィタは境界線紛争が絶えなかったようだ。
チヴィタの町は1時間の滞在で充分堪能できる。