ハーフェル川とシュプレー川に挟まれた都市ベルリン。 1989年ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦に終止符がうたれました。数々のベルリン訪問は、歴史の節目に遭遇した不思議な訪問でした。
最初は、今は昔のPANAM(パンアメリカン航空)に乗り、フランクフルトからベルリンへ向かいました。
当時は、まだKLMなどのドイツの航空会社も無く、すべてアメリカの航空会社がドイツ国内も運行していました。
フランクフルトでもベルリンでも、飛行機に乗るまで3回もボディと荷物をチェックされるなど、ものものしい警備の厳戒体制を潜り抜け、50分程度の飛行時間で、東ドイツという湖の中に、ぽっかり浮かんだ島のような西ベルリン・テンペレホフ空港におりたちました。
西ベルリンから東側に移動するには、フリードリッヒ通りとチンマー通りの交差点のチェックポイント・チャーリーを通ります。
パスポートと荷物は勿論、車の座席の下までチェックされた記憶があります。
東ドイツに入ると、様相は一変します。
自動車道路はガタガタ、息せき切りながらようやく走っているトラバント(旧東ドイツの小型乗用車)を、西ドイツ製のBMWがスイスイ追い抜きます。
それこそ、図体のでかいドイツ人が、小型のトラバンドの中で、頭が車の屋根から飛び出しそうな感じで運転している姿や、ガタガタのアウトバーンの至る所で、煙をなびかせエンストしているトラビが、今でも鮮明に思い出されます。
2回目のベルリン訪問は、1989年のベルリンの壁崩壊の3ケ月あとでした。
壁崩壊の1週間前に川を渡り、命を落とした人の墓で冥福を祈り、ベルリンの壁を壊すのに協力。
当時は訪問者に2マルクでハンマーを貸し、それでベルリンの壁を壊し、もち帰りが可能でした。
ヨーロッパの大都市、ベルリンとパリの街を比べますと、地理的にヨーロッパの中心のパリと、中心から離れたベルリンでは、都市全体のファッションや多様性においてまだまだ、パリには追いついていません。
しかし、2006年のワールドカップを機会に、世界中の人々に、ベルリンの素晴らしさが理解されるようになりました。
地下鉄U2番Ruhleben(ルーレーベン)行きで、Olympia Stadion 下車、市の西の中心、 動物園駅(Zooツオー)から15分程度、10分間隔毎に出発。
Esplanade(エスプラナーデホテル) 宿泊がお勧め。部屋の綺麗さとロビーも広くスタッフのサービスもよく使いやすい。 コンサート会場はホテルの前の川に沿って小道を20分程度徒歩で向かいます。 往復が緑の木々の中で、コンサート前の期待とコンサートの余韻を楽しむには丁度よい散策にもなります。
クラッシックスタイルのホテルをご希望のかたは、Clarion Hotel Berlin(旧ホテルベルリン)が(旧館,新館)がおススメです。 ポツダム広場をはさんで、エスプラナーデホテルの反対側にあります。
ホテル傍から市バス129番で10分程度でOKです。 品物の豊富さにはビックリ。食品売場が最上階にあり、眺めのよい場所から買い物が楽しめます。
24時くいらいまではビアレストランがオープン(コロナ禍では原則昼間)。
ビアレストランでビールとソーセージの盛り合わせのおつまみに、言葉が通じなくても現地の方とひと騒ぎ。
ビールジョッキーをもって腕を交差させ乾杯(Prositプロースト)ときたらドイツ気分満喫です。
ドイツ人は、本当にこういうのが大好きです。それに、なぜかドイツ人は日本びいきが多いのです。
クーダム地域ではBerliner Assinger(ベルリンナーアッシンガー)、Hrdtke(ハルトケ)、Krantsuler(クランツラー)などのビアレストランがお勧め。