ヨーロッパは歴史・芸術・世界遺産など見所が大変豊富。
そのため、どうしても盛りだくさんの駆け足ツアーになりがちで、 本当のヨーロッパの奥深さを味わうことができません。
女性やシニア向けのヨーロッパ旅行のポイントは、滞在型のゆったり旅行です。
特に、多くの文化遺産に囲まれたイタリアのローマは、いくら滞在しても見所が尽きない世界一の旅行地です。
ローマから北西40kmのティレニア海に面した海岸には、紀元前7~6世紀から3世紀ごろまで、エトルリアの港町ピルジ(塔の意味)の町があった。
港町の広さは神殿を中心に10エーカー(約4千㎡)ほどで、フェニキアや地中海の国と交易をしていた。
当時、この港町から内陸に入ったバンディタッチャ高原のエトルリアの町 カイレー(現チェルヴェ-テリ)までは、延長13km、幅10mの道路で結ばれ、町と町はネットワークされていた。
エトルリア港町ピルジの遺跡は、動物の生贄を神に捧げる2つの神殿の聖域だが、建物は発掘されていない。
近くでレストランを経営している郷土史家の話では、海の中を掘れば立派な遺跡が発見されるとのこと。
ピルジの全容は、この地に中世に建てられたサンタ・セベーラ城内の小さな博物館にある模型で知ることが できるので是非立ち寄ってみたい。
エトルリア港町ピルジは、その後はローマの植民地として栄え1400年代には現在のサンタ・セベーラ城が建てられた。
城の見所は入口から入って一番奥の、城のなかで最も古いサラセンタワーとよばれる円筒状の塔。
記録では11世紀から12世紀のころのものだが、海上を行きかう船の監視、特に15世紀から18世紀にはサラセンの船の監視をしていた。
入口で入場券を買って高さ20mの塔に昇ると、生者の町ピルジの遺跡の全景と真っ青なティレニア海(エトルリアの海)が広がる。
古代エトルリア人、フェニキア人はこの海で活躍していた。
城の中庭にあるバプティスト教会の祭壇には,15世紀ルネッサンスの画家アントニアッツォ・ロマーノが若い時に描いた聖母子のフレスコ画があるので、是非足を運びたい。
ローマからピルジ遺跡(現サンタ・セベーラ)へは、地下鉄A線コルネリア駅よりコトラル社のバス(30分おき)で国道1号線SS1を走り約1時間でサンタ・セベーラに到着。
バスが国道沿いに停車するので、サンタ・ セベーラ城までは一本道のカステッロ通りを1kmほど歩く。
国道1号線はアウレリア(シーザーの母の名)街道と呼ばれ、北イタリアのピサ、ジェノヴァまで続いている。
サンタ・セベーラ城から内陸のエトルリアの町があるチェリヴェーテリまでは、コトラル社のバスで ラディスポリ(ローマ時代から海水浴場で有名)経由で30分で到着。
15世紀に建てられたルスポリ城内の 考古学博物館を訪れ、墓からの出土品、エトルリアの製品、ギリシャ、エジプトの製品などをみると、その技術に驚かされるだろう。
チェリヴェーテリは、紀元前6世紀ごろのエトルリア時代はカイレーと呼ばれ内陸の中心地だった。
海岸地帯のピルジやアルシウム、内陸のエトルリアの町の間には、星型の道路ネットワークが整備されていた。
ここにはエトルリア人とギリシャ人の作業場があり、壷や装飾品が生産され、国内のみならずローマとも交易があったとのこと。
チェルヴェートリから凝灰岩を削ってバンディチャッタのネクロポリス(死者の町)に道が続く(Via degli Inferi)。
ここは地中海世界で最も大きいネクロポリスで世界遺産に指定されている。
バンディチャッタの名前の由来は、生者の町チェリヴェートリから場所を借りるとのことであるらしい。
死者の町の墓は紀元前9世紀の鉄器時代から紀元前3世紀のエトルリア人まで。全体の1部分10haの場所が見学可能で、1000基の墓が取り囲んでいる。
エトルリア時代の墓の形は、盛土(マウンド)タイプと 立方体(ダイス〕の2種類。後者はモンティ・チェリティ通り(Monti Ceriti)とモンティ・デッラ・トルファ通り(Monti della Torfa)の2本の道に沿って造られている。
入口を入って100mほど進んだ左手奥には鉄器時代の墓がある。
一番の見所はおなじく300mほど行った左手にある紀元前4世紀のレリーフの墓(Tomb of the Reliefs)と呼ばれているマウンドタイプの墓。
内部はフレスコ画や同時代の生活用具を現す彫刻や低いレリーフに飾られている。
夕方、チェリヴェートリをコトラル社のバスで発ち、アウレリア街道を1時間10分でローマ・コルネリアに到着。