サンピエトロ大聖堂は、ニューサンピエトロ大聖堂とも呼ばれ、バチカン市国(ローマの飛び地)にあるサンピエトロ大聖堂で、1506年に教皇ユリウス2世によって始まり、1615年にポールVの下で完成しました。それは、聖ペテロ使徒の神社を覆う高い祭壇の真上にある交差点にドームを備えた3通路のラテン十字として設計されています。建物、つまり教皇の教会は、主要な巡礼地です。
ヨーロッパに滞在していますと、どこに行ってもローマの香りがします。
紀元2世紀ごろのローマ帝国は地中海を自宅の庭の池と見立てるように、東西にわたり版図を拡げていました。
およそ日本は卑弥呼の時代、中国は後漢、朝鮮半島は高句麗の時代です。
「すべての道はローマに通じている」ということわざは、紀元前20年に建てられた、
金のマイル表示石(緯度「黄金のマイルストーン」)と呼ばれるブロンズの記念碑を指している可能性があります。
Miliarum Aureumは、ローマ帝国を旅するための基準点として使用されました。
すべての道がこの記念碑に通じていると考えられていました。
ローマ帝国がヨーロッパの大部分を支配した文明の歴史の黄金時代を反映しています。
すべての道は「文字通り」ローマに通じるでしょう、なぜなら、まあ、彼らはそれらを建てたからです!
ローマといえばサンピエトロ寺院、そこで2000年に大聖年(JUBILEE)の行事が1年を通して行われました。
聖年はカソリックの行事で、1300年にローマ法王であるボニファティウス8世により第1回が始められ、
50年に一度設定されましたが、長生きができない人もいるので(?)1440年ボニファティウス9世からは25年に一度となりました。
この年は世界中から信者が訪れ、この年にだけ開く「聖なる扉」をくぐっていままでの免罪を乞うことになりました。
筆者も幸運にもこの機会に恵まれ「聖なる扉」をくぐっていままでの贖罪を全て洗い流したつもりですが(苦笑)
サンピエトロ大聖堂は世界最大の宗教建築物で、壮大な楕円形の正方形が列柱に囲まれ、四方を堂々とした宮殿と数多くの庭園に囲まれています。象徴的なサンピエトロ大聖堂と広場は、ブラマンテ、ベルニーニ、ラファエル、ミケランジェロ、マデルノ、デラポルタなど、一連の芸術家や建築家の創造的な天才の証です。
この聖年を機会にローマの町も大変綺麗になりました。
それまでは観光バスが町中を走りまわり、観光ポイントでは沢山のバスが駐車して混雑を極めていましたが、2000年からはローマ市の指定された場所に観光バスを置き、そこからは徒歩で観光することになりました。
旅行業者として、場所はどこで、待機時間の制限は、許可書は何時、誰が持ってくるのか、到着時の空港からホテルまではどうするのか、など現地のアレンジャーとしての議論がなつかしく思います。
しかし、バチカンとカラビニエリ(特別警察)には逆らえません。
昨今はこのおかげでローマは世界一美しい首都になったと思っています。
(BEN VENUTI ROMA:ようこそローマへ)